2010年11月1日@国立新美術館
JMMA関東支部・エデュケーター研究会(第4回)
議事録
第4回の研究会は、京都造形芸術大学(以下、京都造芸大)教授の福のり子さんを迎えて行われた。福さんと言えば、対話型美術鑑賞で知られるアメリア・アレナスを日本に紹介し、「なぜこれがアートなの?」を翻訳出版されたことでよく知られているが、今回の研究会では、福さんが教鞭をとられる大学で実践されているプロジェクト、Art Communication Project(ACOP)(http://acop.jp/)の話を中心に、コミュニケーションによる鑑賞教育について講演された。
まずは福さんから、「美術館は必要であり、素晴らしいもの」という美術館性善説への疑問が投げかけられた。全国に存在する美術館博物館関連施設は5614館もあるにもかかわらず、京都造芸大の学生による街頭アンケートによると(年間を通して授業で実施、毎年報告書『わたしたちがみた当世美術館事情』が出版される。サイトより購入可)、約500名のアンケート回答者のうち、1度も美術館に行ったことない人が多数を占めたという。また、別のアンケートで美術館の存在意義について美術館にたずねたところ、館側から「収集・保管、展示、調査研究」という回答があったという。はたして、美術館の目的はこれだけなのか、これだけで美術館は必要なものであり素晴らしいものと言えるのだろうか。本来、美術=アートというのは、美術作品というモノとそれをみる人との間に介在するものではないか。こうした疑問は実際に海外の美術館でも波及しており、海外では、美術作品そのものに焦点をあてる活動から、作品と人との関連性を重視するような活動が増えてきているという。
アートが「作品と人との間にあるもの」であるならば、美術作品と来館者との間に発生するコミュニケーションの可能性を提供できるのが美術館という場である。そしてその美術館で作品と出会うことが、来館者自身の学びとなり知識や能力となっていく。知識とは、学ぶ側が感知した時に初めて感得するものである。そしてエデュケーターとは、美術館来館者をサポートし、来館者が持つ知識や経験から学びを引き出す場づくりを支援する役割を持つ、と福さんは語った。
美術館におけるこうした学びには、コミュニケーションを閉ざさないことが大事だという。そのコミュニケーションを閉ざさないための項目として下記の3つが挙げられた。
1)ひとつの正解、あるいは到達点を想定しない
2)様々な解釈、誤解や妄想が許されている
3)「訂正の道」が約束されている
事実はひとつだが、みた人の解釈や考え=真理はみる人の数だけ存在する。作品に描かれたモノだけではなく、作品から想像される様々なコトをさらに想像し、読み取り、考えていく行為がアートであり、その何かから新たな意味を作り出すのが鑑賞者である。そして歴史を鑑みても、死後評価されるアーティスト(ゴッホなど)は多数存在し、鑑賞者が変われば作品の評価も変わるように、鑑賞者は主体的に作品と関わることができ、また作品はみる人によってはじめて生命が与えられる。美術鑑賞とは、作品と鑑賞者との間におこるキャッチボールであり、知識だけではなく、意識を持って「みる」ことで鑑賞も変わっていくのである。なお、「みる」という行為には以下の3つがあるという。
*実際にはみえないものをみること
*みたいことだけをみること
*みたくないものに目をつぶること
みるとは、とても複雑な行為なのだ。作品はみる人によって初めて生命が与えられるものであり、ときには過去の情報や知識が時には学びの邪魔をすることがある。知識だけではなく、意識を持って「みる」ことによってその人自身の学びとなり、知識や経験となっていく、と福さんは説明された。
次に、京都造芸大で行われているプロジェクト、「Art Communication Project(ACOP)」
の説明があった。ACOPは、鑑賞という体験を人とのコミュニケーションを通じ、アートと自身の可能性を広げる行為を培うプログラムで、コミュニケーションを用いた鑑賞であり、鑑賞の中からコミュニケーションを養うという。
このACOPでは、作品を読み解くために5つのキーワードを掲げている。
*意識をもってみること
*直感を大切にすること
*考えること
*話すこと
*聞くこと
ACOPでは、鑑賞の際に複数の鑑賞者をグループ化し、20分から30分ほど対話をしながら鑑賞してもらうという。最初に作品をみてもらい、その後鑑賞者に作品の第一印象などとその理由(例えそれが「つまらない」といった感想でも)を語ってもらう。ナビゲーターである学生は仲介者となって、上記の作品を読み解くキーワードを意識しながら鑑賞者それぞれの意見を引き出し、作品の理解を深める手助けをする。
感動は言語化することで感動を持続することができるそうだが、こうして自己の考えを言語化し、対話を通し他者と共有することで、考えが発展しお互いに学びを始めるという。
作品と鑑賞者の間に立ちあがるコミュニケーションこそが“作品の体験”であり、ACOPの目的とする鑑賞、と福さんは説明された。
実際、ACOPを受講した学生にも変化が表れたという。受講当初、「自分が作品について教える」あるいは「話してあげる」という意識を持ち、一方通行の「話し」しかできなかった学生は、やがて鑑賞者の意見を深く理解し、対話の中から鑑賞者の意見を引き出すコミュニケーションに変わっていったそうだ。そして、作品や他者と自己との関係を通し、自分自身の発見にもつながっていったという。
福さんにとってのエデュケーターとは、こうしたACOPで実践されている、「作品にあるたくさんの『?』、鑑賞者が感じる『?』をつなぐ=コミュニケートする、ことでたくさんの『!』になっていく、その『!』を増やすお手伝い」をする人、という。そして、エデュケーターに必要なのは、コミュニケーション能力、と締めくくられた。
その後の質疑応答の中では、ACOPがアート以外の分野で応用されているかといった話題がのぼったが、実際には、患者とのコミュニケーション力を必要とする看護の世界や、京都大学総合博物館との提携で歴史系自然系博物館でも応用されている実例が挙げられた。
また、アートにおける「制作」と「鑑賞」と関係性については、「制作者にとって、自分の作品の一番の鑑賞者は自分。いい制作者になるためにはいい鑑賞者にならないと!」と福さんは笑顔で応えられた。
今回の福さんの講演は、「エデュケーターとはどういう役割か」が具体的に示された内容であった。1990年代に対話型鑑賞教育プログラムが日本に紹介されてより約20年が経過しようとする現在、そのプログラムの人材育成として展開されているACOPが今後エデュケーターの育成にどのように関わっていくのか、注目していきたいと思う。
(文責・美術出版社「美術検定」実行委員会事務局 高橋紀子)
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